滞っていてすみません。

このしばらく、さまざまなことを調整してまいりました。
けっこうやることがいっぱいで、なかなか更新できませんでした。お詫び申し上げます。

水戸岡プラン追跡ブログに、みなさんから寄せられたアイデアを箇条書き第2弾にしてまとめました。
公表できない件もあったりしますが、水面下で着々(じわじわ?)と進行中です。

ただいま、皆さんに今まで出していただいたアイディアを整理しています。今月末をめどに、掲示板をリニューアルしたいとおもっています。
今まではできるだけ自由にアイディアを膨らませていただけたと思いますので、今後は具体的なテーマに沿って進めてゆきたいと思います。

2009-04-26

昨日書いたものが、ちゃんとアップできてないので、思い出しつつもう一度。
21日に水戸岡さんのドーンデザインに言ってまいりました。
掲示板に書かれたご意見や、お手紙を持参し今後の進め方などについて、お話させていただきました。

以前にも伺った話で、どこかに書いたかもしれませんが、
「デザイナーは、代理業だ」という言葉が、改めて納得でした。
私なりの理解で翻訳すると、
「使う人の不便、運用する人の問題点、そのような不便を理解し、
その解決方法となるカタチや、使用方法、イロや素材など提案する仕事」です。

私もデザイナーというのは本来そういう仕事だと思っています。
けれど、長年にわたり街角で 「自己実現型」 のデザイナーによる、
一見「アーティスティックな」デザインの氾濫を見せられ、自身の眼を曇らせてしまっていました。
10代、20代のころ、カッコばかりつけるデザインに、どれくらい理不尽を感じてきたか。
「機能を十分に満たしていないデザインは意味が無い」
若干エキセントリックですが、友人たちの前でよく、そう喋っていました。
一見先鋭的だけど、使いかけるとワケのわからない英語ばかり氾濫しているオーディオなどに、
どこくらい失望してきたか。

でも、それはデザイナーの問題ではないのです、なかったのです。
買う側、依頼する側の要求を形にすると、おそらくそういうものができてしまうのでしょう。
直接デザイナーとかかわるのは、依頼する側です。
発注者、クライアント、オーナー、社長、旦那、何でもいいですが、
この人たちが、買う側・利用する側の人たちの要求を読み違えると、
本来のニーズに合わない注文が生まれ、
不便なデザインが世の中に出てしまうのです。
私(似限らず、多くの人)が見て使って、苦手なデザインは、おそらくそういうところから生まれてきたのではないかと思います。
今回の寝台車、実際にできるかどうかは未知数すぎますが、
現行の問題点と、求めたい理想形を考えてゆきましょう。

鉄道ファンの多くが、現行の寝台車両に慣れと愛着があるのはよくわかりますが、
現在の寝台車は、すでに利用者のニーズにマッチしていません。
いったい何が問題で、今までの車両では満たせない不便はいったいどこにあるのか。
どういう車両があれば、どんな人にとって便利で、誰にとってメリットがあり、
より実現の可能性が出るのか。
それをより具体的に考えていくようにしたいと思います。
と、いいつつ、まだ、雑談BBS しかでてきいませんので、
ページの不備が皆さんにご迷惑をおかけしています。

そんなところに、一通のお手紙をいただきました。
神奈川県在住の女性です。
「寝台車を昼間にも走らせよう」というものでした。
長距離になれば、ありえる話し出し、まぁそんなものかな、と思いつつ読み始めて、自身の不明に気づかされました。
ご高齢の母君が、ご病気だった姉のところを訪れたいが、その方法が無い。
新幹線で行ければいいのだけれど、長時間の座席は厳しい。夜行列車で訪れるには中途半端な距離だ。という話でした。こういうときこそ、寝台車(寝台席)があればどれくらいありがたいかと思います。

高齢者や、私のような腰痛もち、睡眠不足のビジネスマン、時差ぼけの旅行者、どのくらい助かることでしょう。
一両丸ごとの必要もありません。同一寝台は一列車一人なんて原則にとらわれる必要もありません。
リネンのシーツじゃなく、ペーパーシーツでも十分でしょう。枕と毛布はレンタルでも十分です。東京から名古屋までの人が降りたら、名古屋から岡山までの人が横になって乗ればいい。そのような実際的な工夫や使い勝手は、デザイナーと相談すればいいわけです。
必要は発明の母なんて言葉がありましたが、このような「必要」「不便」にしっかり眼をむけて行きたいと思います。

いよいよ

21日、水戸岡さんのところに行ってきます。
ダイヤ改正やら、肥薩線のSL復活やらで、ご多忙でしたから、
なかなかミーティングの時間が取れなかったのですが。

明日は、私のスケッチとともに、皆さんの掲示板への書き込みをまとめて持ってゆきます。
そのままではやはりわかりにくいので、系統別に分けたり、整理したり、
ご意見を尊重するようにまとめています。
明日はそういう内容も取り入れながら、次世代のイメージをどう作るかという話になると思います。
それについては、これから「水戸岡プラン追跡ブログ」でご紹介してゆく予定です。

ひとくちに寝台列車復活といっても、当然なんぎな話です。
鉄道会社は、廃止の方向で考えているわけでしょうし、
当然そこにいたるまでには、ビジネス的な相当の計算がなされているはずです。
そのような状況で、旧来型のものの復活というのは、よほどのものでもない限り難しいでしょう。

この企画を始めたころ、さまざまな方々と話を詰めました。
「豪華な寝台には興味がない、それより急行全盛時代の車両で走れないものか」とか、
「やはり国鉄型でないと」など、懐かしいスタイルに限りない思いを持っておられる方の多さを実感しました。
この掲示板でも、国鉄型車両での再生を提案しておられる方がたくさんいらっしゃいます。
私も個人的には、そういう列車で旅ができれば何よりなのですが、
前にも書きましたように、現状では鉄道ファン以外には心地よく受け止めてもらえないような車両となっています。
時代が経って、今よりももっと懐かしい存在となれば、再評価のメもあるのでしょう。
ですが、女性客が乗りたくならないような施設では厳しいですよね。
でも、鉄道ファンにとっては懐かしいあの車両を、「再生」させるにはどんな運行方法があるのか、改装ができるのか、も今後検討してゆきたいと思っています。

ご意見の書き込み、お手紙などありがとうございます。

メール、お手紙、そして掲示板への書き込みありがとうございます。
皆さんからの熱いお便りに、このサイトを立ち上げてよかったと、実感しております。

お返事や、掲示板への書き込みが遅くなっていて申し訳ありません。
ちょうど新聞に掲載していただいた22日以来、公私共に怒涛の日々をすごしております。
夜行列車のこと、プライベートなこと、本業の撮影仕事、そのほか書ききれないことがTSUNAMIのように押し寄せて、まだまだ、波に飲まれてぐるぐる回っているような状況です。

皆さんの書き込みを見て、この計画を紹介するサイトをたちあげてよかったと、つくづく思っています。
鉄道ファンとして、あるいは夜行列車で旅をしたい一人の旅人して、長年心にためていた夢の列車の発現として、
どれも真剣に熱気のあふれるもので、一つ一つ丁寧に答えたいと思えば思うほど、次の書き込み、次のメール、お手紙をいただき、お返事、書き込みができませんでした。改めてお詫びいたします。

この数日間に、やむをえない事情で、夜行列車に乗ってきました。
「旅を楽しむ」のではなく、、まさに「乗らざるを得ない事情」です。けっして快適でもなく、万人が楽しめる空間というわけではありません。が、夜行列車が合ってよかった。とつくづく思いました。
「鉄道を考える人」さんのおっしゃるように、夜を有効に使えることはじつにありがたいことです。今回はそれほど長い距離ではありませんでしたが、こういう夜行列車が、できるだけ気軽に、安心して、しかも快適に過ごせるものであれば、もっともっと使えるのにな、との思いをいっそう深くしてきました。

九州規模の距離になるなら、『夜の新幹線』を提案されている「豊橋」さんや、「鉄道大好き」さんの書かれている『寝台列車を新幹線で』(もちろん夜間の線路メンテナンスの方法は考えなければいけないでしょうが)、などというのが実現すれば便利ですよね。
先日乗った「ながら」に、ごろんとシートがついて『寝ながら』になったら、すごくありがたいなぁなど、
掲示板を読みながら、痛切に感じました。

お手紙でいただいたものに関しても、近日中にアップロードさせていただきます。
現在の掲示板のシステムでは、まだ見づらいところがありますので、4月~5月末をめどに新たなシステムを立ち上げようと思っております。
現在、友人の鉄道カメラマンたちにも声をかけております。
ちかぢか、彼らの「夜行列車フラッシュギャラリー」も公開できると思います。
鉄道をずっと撮ってきたカメラマン一人一人の目で捉えた写真から、夜行列車の魅力を再発見していただけると思います。
そんなこんなで、みなさんの熱い思いを受け止められるよう、さまざまな人たちにも協力をお願いしています。
今後ともよろしくお願いいたします。  

yama-1.JPG

掲示板に関連して。

掲示板に書き込んでもらった意見が、あまりに自分にとっても切実だったので、
以前メモ書きしてたものを、急遽ここに書くことにしました。
夜行列車でも、バスでも、着いたときの、放り出された感に困ることがあります。
すぐそのまま用事があればいいんだけど、しばらく間が空くと、これがけっこうくたびれる。
何とかなんないのかなー、と重いながら書いたものです。

ヨーロッパの国際夜行列車や、オーストラリアのガン鉄道など、普段使いの夜行列車は、海外でまだまだ現役です。これらは一部に高級列車の側面を持ちつつ、長距離移動の若者たちにもリーズナブルな移動の方法を提供しています。運転の距離も日本の夜行列車と比べそんなに長いというわけではありません。でも国境線までが近いところが多いので、会社どころか国が違うところをつないでいるのが珍しくありません。ヨーロッパに行った際、飛行機ではなく夜行列車で移動した経験のある人は多いでしょう。夜行バスが苦手な私としては、日本でも鉄道をあんなふうに利用できたらと思わずにいられません。
現実的なネックはさまざまありますが、高速道路網より張り巡らされた鉄道のネットワークを使えばもっと自在なものが可能ではないでしょうか。

ここからは、空想の度合いを少しだけ上げてみます。私がこんな列車がったらいいなと思うのは、
・個人スペースをもう少し確保した座席車両、
・到着したところでしばし寛げるスペース、
・車内には寝る前にちょっと一息つく空間や、
・発着時に揺れない車両、防音、防臭、
・できればパソコンや携帯電話の電源が充電できるスペース、
・大きな荷物を入れる有料のコインロッカー、
・きれいなトイレ、(女性用はもっときれいに)
・ミル付のコーヒー自販機、
・シャワーでも浴び列車内でリフレッシュして目的地に着けたらいいのに、
・乗車前にも、おいしい地元の食事が取れるビアホールやレストラン、手軽な居酒屋があったらいいですね。02260138.JPGできればチェーン店じゃなくって、新宿のBELGみたいな地元のお店が。おいしいものをちょっと食べて、車内でもう少しお酒でも楽しみながらの旅がしたいもんです。

この企画がはじまるまで その1

この企画は、JRとはまったく関係ありません。 お問い合わせは各会社へのご迷惑になりますのでご遠慮ください

3月22日 一部リニューアル版 スタートいたしました。


■寝台列車創生のスタート
 始発駅はアタマの中です。
 もともとのスタートは、夜汽車好きの私が、将来も夜汽車に乗りたいなぁと思ったことが始まりです。
授業中のノートの端っこに、夢の列車を鉛筆で描いていたような発想ですから、それを始まりといっていいのかどうかはわかりませんが。
 とはいえ、乗りたいという気持ちと裏腹に、夜行列車はその数を急速に減らしてゆきました。規制緩和の影響があるのかどうか、夜行バスが急速に増え、道路さえつながっていれば、東京からほぼ全国の主要都市へはバスでいけるようになってしまいました。
 夜行列車の凋落は急速でした。最盛期に東海道だけで10本以上あった特急寝台は見る見る減少。周遊券で使えた夜行急行は切符の消滅と前後してほぼ全滅。目的地へ早朝に着いていたいと思ったら、夜行バスか前泊するしかありません。
 このままでは、夜行列車という存在自体がなくなってしまう。そう感じずに入られませんでした。

 もちろん、運営する鉄道会社にしてみれば「やってられない」理由はいっぱいあるでしょう。
一座席一人の長距離列車というのではあまりに回転率が悪すぎます。
何社にもまたがる列車の場合、利益の分配もさることながら、他の会社区間で遅れが出たときに、こちらまでダイヤの乱れを食らうのは避けたいでしょう。
そんなこんなで新幹線ほどは儲からない夜行列車はつぎつぎと減らされていったのでしょう。

 ただし、そういう理屈を理解する気持ちと、旅をしたい気持ちとは別です。
夜汽車の窓から眺める景色は格別ですし、深夜にどこかに降り立つというのでなく、朝まで車内でゆっくりすればいいという安心感もここちよい。乗ってる時間そのものが旅になっているのも楽しい。
 よく夜行列車の時代は終わったとは言うけれど、本当にそうだろうか。古くは北斗星、そしてトワイライトエクスプレス、カシオペア。これの席は今でも入手困難な、いわばプラチナチケット。乗りたい人はまだまだいる。従前からの夜行列車の時代は一区切りかもしれない。でもその可能性はまだ未開発なんじゃないだろうか。だからといって、鉄道会社にねじ込んだって、嘆願したって実るわけはない。むこうだって仕事だもの。
 ならば、いまいちど「こんな列車があったらいいな」という理想の列車を描きなおしてみたい。それぞれの夢や理想のイメージを集め磨きだせば是非乗ってみたい(走らせてみたい)列車のイメージが出来上がるんじゃないだろうか。
 漠然とそんな思いを抱いたまま、可能な限り夜行列車を使って撮影旅行を続けていました。
どんな列車だったらみんなが乗りたくって、僕でも乗れて、会社だって走らせたくなるのだろう、と考えながら。

■夜行列車が使えない
 使えない? 使わない? 使わせない?
 鳥取への足として使っていた「出雲」が消え、早朝の青森へ便利な便だった「はくつる」が飛び去り、北海道の宿でもあった夜行特急が姿を消し、移動が日中に制限されてしまった。夜行バスもあるにはあるが、どうにも体に合わず眠れないので、翌日まるで使い物にならない。なので日中移動するとどうしても一日無駄になってしまう。移動のニーズに対して列車は図体がでかすぎるのかもしれないが、残念でならない。 そのうち道内の長距離バス業者が共通のバス周遊(回数)券でも出したら、鉄道の利用はまた減少するんじゃないかと思えてしまう。
 とまぁ、これは実際に利用できない夜行の話。
もう一つの使えない寝台車とは、女性が乗りづらい寝台車。夜行列車愛好の私としては、他人の寝台券を当人の代わりに取ることがある。とはいえ、特別なルートがあるわけではないので、時間や日程、窓口の込み具合など経験則で買うだけだ。ネットオークションはしない。そうしてとっても、決して喜ばれるとは限らない。雑誌なんかに載っている『夜行列車のすばらしい旅』を期待して乗った人たちはほとんど挫折感を味わって降りることになる。
食堂車があるわけでもなく、個室を出ればくつろげるスペースはまるでなし。トイレは汚いし、連結器の振動は大きい。車によってはなんともいえないこもった臭いがする。女性にとっては旅ではなく苦行ですよ。
昭和40年代の設計をベースにした車両だから、ある程度は仕方ないのかもしれないが、それにしても、ほとんど何の手も差し伸べられないままただ古くなっていくのでは、利用者だって減りますよ。もっとも、友人の中には、それが狙いじゃないかと言う人もいますが。
女性が使えない、というのは、寝台車にとってかなり大きな問題です。女性客を志向していないから男性が中心になる。つまり対象となる乗客が人口の約半分になってしまうということです。その人たちが乗るのが夜行バス。比較的少ない乗客数でも採算が取れますから、よけいにバスがシェアを伸ばす。結果的には寝台列車の減少、となったのではないでしょうか。

ヨーロッパの夜行列車に乗って驚いたのは、座席の寛ぎ感でした。もちろんすべてというわけではありませんでしたが、座席が小さなシェルのようになっていて、さほど回りを気にせず眠れるのです。バスに比べて広い鉄道の車両は、開放感もありますが、不安感も生み出します。そういう落ち着かない感じをかなり減少させてくれるようです。乗り心地の面では新幹線と同じ標準軌(1435mm)ですから、JRの線路幅(1067mm)に比べはるかに揺れません。また、昔ながらのピンリンク式連結器ですからガチャガチャした前後動はありません。(ピンリンク式に戻せといっているんじゃありませんよ。今なら、理想はカシオペアの連結器でしょう最後部の乗っていてもほとんどショックなく走り出してくれます)

話があっちこっちに飛んでますが、要は、女性客をつかまないと寝台車にせよ特急電車にせよ、利用者の半数にソッポを向かせてしまうということです。

■九州でみた旅
そんな折に再発見(!)したのが、JR九州のデザインです。乗客サービスよりも速さを重視しているように見える他社に比べ、水戸岡さんがデザインする九州の車両は、列車に乗ること自体を旅として捉えているように感じられます。
とはいえ、私はもともと国鉄型の車両が好きな人間ですから、奇抜なイメージの九州の車両は必ずしもなじめるものではありませんでした。しかし、それを補って余りある何かを九州の列車に乗っているときに感じるのです。色使いにしても、素材にしても、実にユニークです。
 もっとも、九州エリアにいるときは、あるいみ飽和状態なので、そのユニークさをさほど強く感じることはありません。それを一番強烈に感じたのは神戸でした。阪神大震災の直後、鉄道や道路は寸断され、交通手段はほぼ壊滅状態。人々の移動を支えているのは全国から集まってきたバスでした。瓦礫となったビルや広大な焼け跡は、ホコリやチリが各所を覆い、色彩を意識することさえ忘れてしまうのです。冬のことでもあり、木々の緑というのも寂しい限りでした。そこを走ってきたのはJR九州の真っ赤なバスです。最初は一瞬違和感があったものの、光の方向によっては少しオレンジがかっても見えるバスは実に力強く見えました。
デザイン、が色や形を作るだけのものでなく、人の心に語りかけてくるものなのだと、再発見したのでした。

 そう思って、九州の車両を見ると、実に楽しいのです。たとえば「ゆふいんの森」(Ⅲ世)は、車両と車両の間に橋がかかっているし、円筒形のトイレは、森の中の巨木のよう。何よりクルーが「もてなし」の気持ちで乗客を扱ってくれるのがとても居心地良いのです。車両というハードウエアとサービスというソフトウエアがうまく回転している。そう実感させられました。
この人と一緒に寝台列車を夜行列車をイメージできたら、きっと面白いものが出来る。それ以来、機会をうかがう日が続いたのです。

■夢の共有
イメージ・夢は共有する人が多ければ多いほど、実現への力になる。
それがマイナスの夢ならマイナス方向に、プラスの夢ならプラス方向に進んで行くのではないでしょか。
08年にグリーンスパンが発した「100年に一度の”津波”」という言葉を「”経済危機”」という謎の置き換えを行って発言し続けた総理のおかげで、必要以上にマイナスなイメージを共有したのは、前者の例でしょう。
後者の例はたとえば、「アトムを作れ」という言葉から二足歩行ロボットasimoを開発したといわれる本田技研や、ヤマハホールを超満員にした「東京・大阪三時間の可能性」という講演会をステップボードに。実現に向かった東海道新幹線など枚挙にいとまがありません。
おそらく何の仕事でも作業でもそうでしょうが、仕上がりのイメージが具体的であればあるほど、完成度は高くなります。人参を切るのだって、カレーにするのかお吸い物にするのかで切り方は変わります。完成の具体的なイメージがないままに切りはじめたら、巨大な人参がゴロンとした澄まし汁が出来てしまいます。
また、こういうときに、写真はまさにイメージ写真としての役割りを果たします。澄まし汁を見たことも食べたこともない人たちが分業して作ったとしたら。写真を見て、人参をイチョウ型に切る人、山椒の葉っぱを適当な大きさに千切る人。味はどうなるかわかりませんが、この程度だったら、形だけはそれに近いものが出来ます。味のイメージや共通体験があればもっと強力です。
イメージは、具体的であればあるほど、それを多くの人が共有すればするほどパワフルになってゆくのです。IMG_0002.JPG

この企画がはじまるまで その2


■第一回接近遭遇
 最初の出会いは、インタビューでした。水戸岡さんと鉄道の最初の出会いから、現在の車両デザインに対しての考え方を伺い、自分が九州の車両に感じていた感覚は、まさに水戸岡さんが狙っていたものだということを再確認できました。雑談に入り、話は夜行列車の方向へと進んでゆきました。もう、ここです。話すしかない!と、自身の考えを伝えました。
とまでは、思い出すのですが、まいあがってしまったのか、そのときどんな会話だったのか、思い出せないのです。
覚えているのは、水戸岡さんが同意してくれると同時に、夜行列車はやりようでお客さんの集まる列車に出来るよ、という内容のことを話されたこと。そして私が、提案する方法を考えてきます!という内容のことをいったことです。
 しかし、そうは言ったものの、このようなつかみ所のない計画はなかなか扱いに困ります。
水戸岡さんがデザインして、どこかの雑誌に出すだけならばさほど難しいことではないでしょう。鉄道雑誌ならばすぐに受けてくれそうです。でも、それでは小さなトピックスにしかなりません。それに、特定の雑誌だけではほかのところは見向きもしてくれないでしょう。本当のところは、見向きしてくれなくっても、かまわないのです。ほかのところも同じような企画をやってもらえたら。あちこちで同時発生的に夢が具体的に語られたら、それはきっと実現へのハードルを一つ下げることになると思うのです。でも、このような内容であからさまに類似企画となるようなものが流行することはありえません。
「出来るだけ、インディペンデントなかたちで、各社に自由に扱ってもらえるようにするには、どうすればいいのか?」
具体的な解決方法がないまま、「出雲」も「銀河」も廃止されてゆきました。

■バトンを継ぎたい
東海道・九州筋に残るのは「富士・はやぶさ」のみ、それも2009年3月で廃止。もうタイムリミットをきられたも同然です。
もちろんブルートレインがなくなってしまって後でも、夢の車両を創造することは可能でしょう。でも、昨日の列車の面影のあるうち、今日の列車が走っているうちに、明日の列車をイメージしないと未来につながらない、と思います。
それから廃止の日まで、超高速で過ぎてゆきました。
こうなったら、しかたありません。いいだしっぺの自分が体力の続く限りで始めよう。とハラをくくりました。WEBページを制作することにしました。
ほかにも記事をしていただくメディアは、いくつか取り付けましたが、ゆるやかな連携にし、出来上がってゆくものは出来るだけ多くのところで使えるようにと考えました。
 次に動いたのは発起人と賛同者を集めです。とはいえ、お金を出してもらうというのではありません。純粋に「賛同します」という意思をいただいてくるだけです。もとより金はありません。時間も、技術もありません。あるのは、これに賛同してくれる仲間だけです。実はこれが何より一番の財産でした。鉄道をフィールドにしているライターさんやカメラマン、鉄道とは関係ないけれど面白いと賛同してくれた作家さんたちなど、半月で100人のお名前が集まりました。
 
 こうして始まったこの企画。三月現在、ごらんのように、HPはまだまだ穴だらけバグだらけかと思います。
参加の仕方だってわかりにくいし、大きな画像を受け入れる体制はまだ整っていません。
せっかく見に来ていただいて、こんな状態というのは、チェックインした旅館がまだ清掃中だったみたいな感じかもしれません。
そういう意味では、ご迷惑をおかけしています。

あわただしい開業ですが、よろしければ少しだけ長い目で見ていただいて、是非、皆さんの乗ってみたい夢列車を、ご投稿ください。


■目標
この企画の目標は,あくまで、夢の夜行列車のプランを考えることです。そして、そのイメージを出来るだけ多くの人たちに共有していただくことです。
水戸岡さんの企画と、読者の企画、それが刺激しあったり、折り合ったり、もしかしたら共通で進むかもしれません。まったく別の指向が複数たつこともありえると思いますし、それでいいと思っています。
出来ればサイトを終了するまでに、報告書的な本にして出版したいと思っています。
(投稿していただいたものは、そこに無償にて使用させていただく可能性がありますので、あらかじめご了承ください。またクレジットの必要な場合はその旨お知らせください)
また、パースが出来上がった時点で、模型を作ってくださる人も求めます。完成しましたら、是非撮影・掲載をさせてください。
企画のくぎりは2010年3月。
そのときまでに、どんな列車のイメージが出来上がっているか、早く見てみたいと同時に、じっくり作ってゆきたいと思います。

■リニューアルを期に、ここで一度お礼を申し上げます。
WEB制作にかかわってくれたメンバー、発起・賛同人としてお名前をいただいた100名以上の方々。取材してくださったメディアの方々。なにより、常識的にはわけのわからないような企画に、一番最初に参加してくださった水戸岡鋭治さん。
ほんとうにありがとうございます。

 今回の、企画の中でとても重要な要素となったWEBですが、前述しましたように私はその使い方がまるでわからない素人です。
もちろん閲覧くらいはできますが、作ることは不可能です。
上で申し上げましたように、当初はWEBページを作る予定などありません。が、流れのままに気がつけば「つくろうか」が「作らなきゃ」で「必要だ」に変化していったのです。
 それはそれは、あっという間のできごとでした。本格的に始動したのは、2月の半ば過ぎ。HP開始予定は3月14日。最後の「富士・はやぶさ」が終着駅に到着する日です。
 通常でも、数ヶ月かかるHPつくり。しかも発起人はWEBにまったくのトーシロー。夜行列車を創造する、というコンセプトに関しては、それなりにくっきりしたものがある。けれど、それを展開してゆくWEBページに関して、まるでわからないというていたらくです。タイトルは?どんなページが必要?サーバーは?管理は?そのほか、やりたいことと、WEBで出来ることとの落差が埋まらない。走ってる車しか見たことのない人間が、突然運転をするようなもんですから、無茶です。コケます。すぐに壁にぶちあたります。
 呆然とする私に救いの手を差し伸べてくれた人たちがいました。
セキュリティ万全のサーバーの提供を申し出ていただいた、ソフトウエア会社のKさん。
デザイナーでありコピーライター、WEBの制作も出来るSさんには、ページの作成をやっていただきました。
サイトの基本コンセプトつくりや、バナーの制作、鉄道に関する内容のチェックは、Tさん。彼は鉄道地図つくりの名人でもあります。みなさん深夜に及ぶ作成作業も、締め切りぎりぎりまで取り組んで、その内容を向上させてくれました。
ほかにも、ライターのGさん、Yさん。イラストレーターのMさんなどなど、多くの人たちのお世話になりました。
が、実働部隊は彼(彼女)ら三人。この人たちがいなければ出来ないことでした。
 とはいえこの三人、お互い一度も顔をあわせたこともない丸っきりの他人です。おまけにその連絡役は、まるでWEBをわかってない私。三人のご心労ご苦労、どのくらいかけたかわかりません。
ページ全体に、まだまだ不統一感があったり、内容が伝わりにくいのは、一にかかって私が原因です。もし私が彼らのうちの誰かだったら、間違いなく「やってらんねぇや!」となったことと思います。
 今日現在(3月22日)も本運営に向けて、サイト構築、その他の作業を始めてもらっています。
本当に、どうもありがとうございます。
 がんらい『夢の列車を、創造しよう」なんていう、とらえどころのな話を、すぐに理解し協力してくれたことは、いくら感謝しても足りません。
また、わざわざこのページを尋ねてくださった皆さん、
本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。

2009-03-19

外はどんどん暖かくなってきたようです。
最近は花粉もちょっと減ったようだし、呼吸も少し楽になってきたような気がします。
友人M君に連絡を取ったら、彼はいま長崎で、復活臨時列車「さくら」号を撮りに行っているとか。
おそらくさくらの花自体も咲き始めてますから、二つあわせた作品を見るのを楽しみにしています。
寝台車だけじゃなく、昔の車両にはなぜか温度計がついていましたね。
急行や普通列車は棒型の、寝台特急が登場したころからバイメタル製の円形温度計がついていました。
温度計といえばデジタルが殆どの今、改めて見てみるとずいぶんクラシックなデザインですが、
ぶつかっても痛くないように、見やすいようにした、なかなかのでざいんです。
文字盤にはJNRの文字。この写真は一昨年、「富士」「はやぶさ」の車内で撮ったものです。
復活した「さくら」号の車内でも、きっと何度目かの、もしかしたら最後の春を知らせていることでしょう。
ところで、
このページのことをあちこちに紹介させていただいてたら、新聞が取り上げてもらうことになりました。
どんな記事になるのか、楽しみです。温度計.JPG

2009-03-17

初めての夜行列車体験。
私がはじめて、夜行列車に乗ったのは、1971年8月のことです。
列車は、青森発大阪行きの[日本海]です。

生まれてはじめての北海道。C62の牽く急行ニセコに、初めて食べる生タラコの旨さに(当時タラコは焼いて食べるのが常識でした)その他さまざまな北海道に感動と緊張をし尽くしたかと思っていたら、
その帰り道、寝台列車に乗るという、これまた初体験のしめくくりです。

青森駅に並んだ20系寝台車は、他の客車とは明らかに異なる気品をかもしていました。(もっとも、ディーゼルカーの走る沿線で育った私には、旧型客車は大変な憧れの対象でしたが)
狭いはずの三段式寝台も、子供の身長には充分過ぎる大きさです。下段は弟、中断に私、上段には母親が入りました。安全紐二本の中段は子供心に不安なものです。落ちたら大怪我をしそうで、不安で眠れないんじゃないだろうか、と思っていたのですが、快適な「広さ」と、心地よい揺れ、そこに旅の疲れも加わって、あっという間に熟睡してしまいました。
「夜の間に移動できるって、すごい!。それにこんなに快適に寝られる!」
おそらく京都付近まで起きなかったのだと思いますが、目が覚めたときの感動はその後もずっと覚えています。
大阪から青森までの道のりは、ディーゼル特急「白鳥」でした。朝から16~7時間ほども乗り続けた旅はとんでもなく楽しいものでした。同時に夜の間に移動できることは、こんなにすごいことか、と夜行列車を「発明」した人に感動をしていました。
夜行列車で旅したい。風景が次々変わる長距離列車は面白い。またすぐにでも鉄道の旅がしたい。
僕にとっては、その後の仕事をも決定的にする旅ということになりました。

しかし、それから次の夜行列車に乗るまで、およそ5年以上の時間が必要でした。
日本海 .jpg

今後の予定について。

09年3月14日現在、まだこのページは試運転中です。
管理人の私が、まるでスキルがないものですから手探りでやっております。
不備どころか、ワケのわからないところもたくさんあって、
『せっかく来てみたのになんだ!』
と、お思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、
ごめんなさい。
出来るだけ大きな心で見守ってやってください。

このページは現在、管理人の私が書いておりますが、
近々、本格スタートいたしましたら、書き手も交代して一新する予定です。

水戸岡さんと車両のイメージを創ってゆくレポートはここに載せる計画です。
それまでは、
この企画がどうして始まったのか、
いったい何をしようとしているのか、などを
ここでお話させていただこうと思います。

まず、見ておられる方の多くが、おそらく疑問に思われることについて。
いったい何をしようとしているのか?

ここでやろうと思っていることは、夢つくりです。
不景気だから、とかそんな時代じゃない、というご意見は重々承知です。
旅客鉄道会社が、多会社にわたり採算率の悪い夜行列車を
やりたがっていないのも周知のとおりです。
だいいち夜行列車は、時間で飛行機や新幹線に、値段でバスにかないません。
「そんなことやっても意味ないよ、鉄道会社がやる気ないんだから」
というご意見もいっぱい伺いました。
私自身、鉄道の取材を何十年も続けてきてそれはよく理解できます。

ここでやりたいのは、現実の分析ではなく、
こういう旅がしたいなぁ、という、
いわば旅行のプランニングに近いmのだと思ってください。
よく、子供のころにノートの端に描いた「夢の列車」
それの、大人版です。
実現性は限りなく少ないかもしれませんが、
現実味はたっぷり詰まった、
そんな列車を、みなで創造して行きたいと思っています。

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