この企画がはじまるまで その2


■第一回接近遭遇
 最初の出会いは、インタビューでした。水戸岡さんと鉄道の最初の出会いから、現在の車両デザインに対しての考え方を伺い、自分が九州の車両に感じていた感覚は、まさに水戸岡さんが狙っていたものだということを再確認できました。雑談に入り、話は夜行列車の方向へと進んでゆきました。もう、ここです。話すしかない!と、自身の考えを伝えました。
とまでは、思い出すのですが、まいあがってしまったのか、そのときどんな会話だったのか、思い出せないのです。
覚えているのは、水戸岡さんが同意してくれると同時に、夜行列車はやりようでお客さんの集まる列車に出来るよ、という内容のことを話されたこと。そして私が、提案する方法を考えてきます!という内容のことをいったことです。
 しかし、そうは言ったものの、このようなつかみ所のない計画はなかなか扱いに困ります。
水戸岡さんがデザインして、どこかの雑誌に出すだけならばさほど難しいことではないでしょう。鉄道雑誌ならばすぐに受けてくれそうです。でも、それでは小さなトピックスにしかなりません。それに、特定の雑誌だけではほかのところは見向きもしてくれないでしょう。本当のところは、見向きしてくれなくっても、かまわないのです。ほかのところも同じような企画をやってもらえたら。あちこちで同時発生的に夢が具体的に語られたら、それはきっと実現へのハードルを一つ下げることになると思うのです。でも、このような内容であからさまに類似企画となるようなものが流行することはありえません。
「出来るだけ、インディペンデントなかたちで、各社に自由に扱ってもらえるようにするには、どうすればいいのか?」
具体的な解決方法がないまま、「出雲」も「銀河」も廃止されてゆきました。

■バトンを継ぎたい
東海道・九州筋に残るのは「富士・はやぶさ」のみ、それも2009年3月で廃止。もうタイムリミットをきられたも同然です。
もちろんブルートレインがなくなってしまって後でも、夢の車両を創造することは可能でしょう。でも、昨日の列車の面影のあるうち、今日の列車が走っているうちに、明日の列車をイメージしないと未来につながらない、と思います。
それから廃止の日まで、超高速で過ぎてゆきました。
こうなったら、しかたありません。いいだしっぺの自分が体力の続く限りで始めよう。とハラをくくりました。WEBページを制作することにしました。
ほかにも記事をしていただくメディアは、いくつか取り付けましたが、ゆるやかな連携にし、出来上がってゆくものは出来るだけ多くのところで使えるようにと考えました。
 次に動いたのは発起人と賛同者を集めです。とはいえ、お金を出してもらうというのではありません。純粋に「賛同します」という意思をいただいてくるだけです。もとより金はありません。時間も、技術もありません。あるのは、これに賛同してくれる仲間だけです。実はこれが何より一番の財産でした。鉄道をフィールドにしているライターさんやカメラマン、鉄道とは関係ないけれど面白いと賛同してくれた作家さんたちなど、半月で100人のお名前が集まりました。
 
 こうして始まったこの企画。三月現在、ごらんのように、HPはまだまだ穴だらけバグだらけかと思います。
参加の仕方だってわかりにくいし、大きな画像を受け入れる体制はまだ整っていません。
せっかく見に来ていただいて、こんな状態というのは、チェックインした旅館がまだ清掃中だったみたいな感じかもしれません。
そういう意味では、ご迷惑をおかけしています。

あわただしい開業ですが、よろしければ少しだけ長い目で見ていただいて、是非、皆さんの乗ってみたい夢列車を、ご投稿ください。


■目標
この企画の目標は,あくまで、夢の夜行列車のプランを考えることです。そして、そのイメージを出来るだけ多くの人たちに共有していただくことです。
水戸岡さんの企画と、読者の企画、それが刺激しあったり、折り合ったり、もしかしたら共通で進むかもしれません。まったく別の指向が複数たつこともありえると思いますし、それでいいと思っています。
出来ればサイトを終了するまでに、報告書的な本にして出版したいと思っています。
(投稿していただいたものは、そこに無償にて使用させていただく可能性がありますので、あらかじめご了承ください。またクレジットの必要な場合はその旨お知らせください)
また、パースが出来上がった時点で、模型を作ってくださる人も求めます。完成しましたら、是非撮影・掲載をさせてください。
企画のくぎりは2010年3月。
そのときまでに、どんな列車のイメージが出来上がっているか、早く見てみたいと同時に、じっくり作ってゆきたいと思います。

■リニューアルを期に、ここで一度お礼を申し上げます。
WEB制作にかかわってくれたメンバー、発起・賛同人としてお名前をいただいた100名以上の方々。取材してくださったメディアの方々。なにより、常識的にはわけのわからないような企画に、一番最初に参加してくださった水戸岡鋭治さん。
ほんとうにありがとうございます。

 今回の、企画の中でとても重要な要素となったWEBですが、前述しましたように私はその使い方がまるでわからない素人です。
もちろん閲覧くらいはできますが、作ることは不可能です。
上で申し上げましたように、当初はWEBページを作る予定などありません。が、流れのままに気がつけば「つくろうか」が「作らなきゃ」で「必要だ」に変化していったのです。
 それはそれは、あっという間のできごとでした。本格的に始動したのは、2月の半ば過ぎ。HP開始予定は3月14日。最後の「富士・はやぶさ」が終着駅に到着する日です。
 通常でも、数ヶ月かかるHPつくり。しかも発起人はWEBにまったくのトーシロー。夜行列車を創造する、というコンセプトに関しては、それなりにくっきりしたものがある。けれど、それを展開してゆくWEBページに関して、まるでわからないというていたらくです。タイトルは?どんなページが必要?サーバーは?管理は?そのほか、やりたいことと、WEBで出来ることとの落差が埋まらない。走ってる車しか見たことのない人間が、突然運転をするようなもんですから、無茶です。コケます。すぐに壁にぶちあたります。
 呆然とする私に救いの手を差し伸べてくれた人たちがいました。
セキュリティ万全のサーバーの提供を申し出ていただいた、ソフトウエア会社のKさん。
デザイナーでありコピーライター、WEBの制作も出来るSさんには、ページの作成をやっていただきました。
サイトの基本コンセプトつくりや、バナーの制作、鉄道に関する内容のチェックは、Tさん。彼は鉄道地図つくりの名人でもあります。みなさん深夜に及ぶ作成作業も、締め切りぎりぎりまで取り組んで、その内容を向上させてくれました。
ほかにも、ライターのGさん、Yさん。イラストレーターのMさんなどなど、多くの人たちのお世話になりました。
が、実働部隊は彼(彼女)ら三人。この人たちがいなければ出来ないことでした。
 とはいえこの三人、お互い一度も顔をあわせたこともない丸っきりの他人です。おまけにその連絡役は、まるでWEBをわかってない私。三人のご心労ご苦労、どのくらいかけたかわかりません。
ページ全体に、まだまだ不統一感があったり、内容が伝わりにくいのは、一にかかって私が原因です。もし私が彼らのうちの誰かだったら、間違いなく「やってらんねぇや!」となったことと思います。
 今日現在(3月22日)も本運営に向けて、サイト構築、その他の作業を始めてもらっています。
本当に、どうもありがとうございます。
 がんらい『夢の列車を、創造しよう」なんていう、とらえどころのな話を、すぐに理解し協力してくれたことは、いくら感謝しても足りません。
また、わざわざこのページを尋ねてくださった皆さん、
本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。

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